これは、僕が小学生のとき実際に体験した出来事だ。
朝、部屋の暑さで僕は目が覚めた。全身の汗と開け放した窓の外から聞こえる蝉の声に不快感を覚えながら起床する。時刻は午前9時。健康的な児童が起きるには少々遅い時間かもしれない。
8月に入り夏休みも半ばとなったが、正直僕はこの長期休暇に飽きが来ていた。かといって宿題を早めに終わらせるわけでもなく、大規模な自由研究をこしらえようとするでもなく、ただ漫然と何もない日々を過ごしていた。
この日も特に予定はなく僕は畳にごろりと転がって、貴重な時間を暑さに溶かし蝉の音が止むのを待っていた。ちょうど顔の位置にCDプレイヤーがあったので、お気に入りの曲でも聴くかと思った。
ふと、玄関のチャイムが鳴った。部屋の窓から顔を出し外を確認すると、そこには友人のタカシがいた。ドアを開けるや否や食い気味にタカシが言う。
「今から裏山のおばけ屋敷に行こうぜ」
『裏山のおばけ屋敷』とは、その名の通り小学校の裏にある山の中の小さな家のことである。僕も一度誘われて見に行ったことはあった。山道の脇にひっそりと建てられたその家は、屋敷と呼ぶには貧相な建物ではあったが、あまりにも恐ろしいその見た目から僕らは『おばけ屋敷』と呼ぶしかなかった。その後、聞いたところによると、家の持ち主は数年前に忽然と姿を消しているらしく、現在は空き家になっているとのことだった。
なぜ突然押しかけてきたのかを問うと、タカシの両親が家を空けるらしく、表に出たはいいもののあまりに暑いので、どこか涼しいところへ行こうとのことであった。肝試しなら一人でやってくれと思ったが、僕も暇であったし二つ返事で誘いに乗った。
軽い身支度を済ませて家を飛び出ると、外はたしかに煮えるような暑さであった。僕らは少し足早に目的地へ向かうことにした。誰かを誘うこともコンビニで涼むこともなく、なにかに引き寄せられるように黙々と歩いた。裏山の登り坂も苦にならなかった。
気がつくと鬱蒼とした木々に囲まれた戸建ての建物が見えてきた、『おばけ屋敷』だ。
不思議なことに、ここら一帯は嘘のように涼しく、あれほどやかましかった蝉の声が一切なかった。さっきまでとは別の汗が湧いてくる。顔を上げるとタカシと目があった。お互い何か言いたそうにしながら黙って家屋の方へ足を進める。
建物をまじまじと見る。木造二階建ての一軒家だが、やはりそれほど広くはなさそうに見える。玄関までの道は雑草が伸び放題になっており、やけにぬかるんでいる。僕とタカシは新雪を踏むように足跡をつけて進んだ。
玄関に着き、いよいよというところでタカシが「入るぞ」と小さく漏らした。僕はうなずくことしかできなかった。タカシが引き戸に手をかけ、そろりと開ける。
建物の中は一層冷気に満ちていて異界に迷い込んだようだった。室内は昼なのに薄暗く、不気味なくらい静かだった。昼間だからと懐中電灯を持ってこなかったのは失策だったかもしれない。僕は気を紛らわすように何かを言ったが、自分でも何を言ったか覚えていない。
土足で廊下にあがると床板はぎしぎしとうるさく音を立てた。廊下は奥にまっすぐ伸びており、僕らはまず右側の手前の部屋から探索することにした。
そこはリビングのようだった。外の薄気味悪さに比べて部屋は思いの外きれいだった。壁や床にシミがあったり、机や椅子に埃が積もっていたりするが決して散らかっているわけではない。まるで人だけが煙のように消えたみたいだった。
「なんだ、こんなもんか……」
タカシが安心したように呟いた。僕も少し拍子抜けした。もっと恐ろしい冒険になると思っていたけど、案外あっさり終わってしまうのかもしれない。
廊下を進むと右手に続く廊下、左手に二階へ上がる階段があった。
右には風呂、トイレ、和室があった。和室の畳は腐っていて、リビングよりも状態は悪かった。それでも人がいた痕跡は見当たらず、衣類の一つも残っていなかった。
二階には和室が2つあった。どちらも一階のよりも荒れていて、ここは僕らが予想していた『おばけ屋敷』の有様だった。部屋は雨戸が全て閉まっていて下よりも一層暗かった。畳には黒いシミがあり、ふすまが破れ放題になっている。壁は何ヶ所か穴が開いており、天井は蜘蛛の巣が張っている。ゴミがところどころに散らばっており、鼻を刺す臭いが漂っていた。
一階の様子を見て油断していた僕らはこれを見て小さく叫んだ。それでも心に少し余裕ができていたから、なんとか冷静でいられた。
タカシが押入れから屋根裏を確認する。屋根裏も埃と蜘蛛の巣まみれで他には何もないそうだ。僕も後から覗いてみる。屋根には窓も穴もないためここも真っ暗だった。夜目がきいていなかったら何も見えていないだろう。
一通りの探索を終えて、僕らは建物を後にしようとした。ずいぶん呆気なく終わってしまった。時計を持っていないので時間がわからないが、まだ昼前くらいだろう。あんまり面白い体験ではなかったし、いずれにせよ絵日記にこのことは書けないな、なんてことを思った。タカシも同じことを考えているような顔をしていた。
帰るために廊下を進んでいると、階段下のスペースに扉があるのに気づいた。入ったときは目が慣れていなかったから見落としていたのかもしれない。僕は開き戸を開けた。
中は倉庫のようになっていて、他の部屋にはなかった衣類や家具が入っていた。衣服は全てがボロボロで、棚にパンパンになるように入っていた。まるで何かを隠すかのように。少し中を確かめようかと思ったとき、不意に後ろから声が聞こえた。
「何かあるぞ……」
タカシの方に目をやる。そこには黒くて小さな板のような物があった。手にとってみるとそれは音楽プレーヤーだった。表面がざらざらしている。どうやら少し劣化しているみたいだった。
僕は試しに電源を入れてみることにした。本当になんとなく、期待はせず自然に、電源ボタンを長押しする。小学生時分この手の機器は少し珍しかったが、兄が似たものを持っていたので使い方はなんとなくわかった。
数秒後、”電源がついた”。僕とタカシは同時に顔を合わせた。この家で見たどんなものよりもびっくりした。長らく人がいないところにこんなものがあるのも奇妙だったが、真新しい人の痕跡というのがとにかく怖かった。
電池残量は半分くらいだった。ファイルを確認すると再生リストは1つしかなかった。それもなぜか文字化けしていてタイトルは分からなかった。
僕はおもむろにポケットからイヤホンを取り出した。カナル型イヤホンだ。それは朝、CDを聴こうとして用意したもので、家から出るときに持ってきてしまっていた。僕はタカシにこいつを聴いてみるよう提案した。なぜだかこのときは恐怖よりも好奇心のほうが勝っていた。これを見つけるためにここに来たのではないかと思いそうになる。
僕とタカシは片耳ずつイヤホンを装着し、プレーヤーにイヤホンジャックを刺す。異様な緊張感が導線を通して伝わってくる。
再生リストを改めて確認すると、10分くらいの曲が6つほど入っていた。とりあえず1つ目を再生する。すると、何かが喋っているような音がした。どうやらこれは音声ファイルらしかった。しかし、
「……全然聞きとれないな」
そうなのだ。音声は音飛びやノイズまみれでほとんど聞き取れなかった。おそらくイヤホンジャックの穴が劣化していたか埃が詰まっていたんだと思う。こんなところで見つけたものだし、電源がついたのが不思議なくらいだ。うまく再生できなくて当然か。僕は再び落胆した。そのとき、
「うわっ!」
タカシが声を上げた。僕もつられて身を震わせる。どうしたんだ?
「いきなり振動みたいな音がしたんだ、ボボボボって」
一緒にイヤホンをしていた僕には聞こえなかった。一体なんの音なんだろう。そう思っていると僕の方でもその音が聞こえた。耳に直接響くような、まさしく振動。僕も思わず声が出た。なんだこれは。
タカシがプレーヤーを操作する。2つ目のトラックを再生したらしい。1つ目と同じく、やはり始めは何者かが喋っているような音が聞こえる。聞き取れないかと耳を澄ますがどうにもわからない。するとやはり途中から喋り声がなくなり、今度はぐちゃぐちゃとした気持ち悪い音が聞こえてきた。タカシが反応していないところを見ると、これは僕の方にだけ流れている音のようだ。
今度は僕がプレーヤーを操作する。トラック3だ。今度こそ喋っている内容がわからないかと注意する。タカシも意識を耳に集中しているようだ。数秒後、一瞬だけ、意味のある言葉が聞こえてきた。
「 こっ チ にこ い 」
本当に刹那のことだったが、はっきりと聞こえた。タカシにも聞こえたようだ。目で合図をしてくる。『こっちに来い』、これは偶然聞こえたものなのか。これより後の音声はもう雑音でしかなかった。
「これ、本当になんなんだよ……」
震え声でタカシが言う。僕も流石にこれ以上は恐ろしくなった。足を踏み入れては行けない世界に迷い込んだ気分だ。僕はプレーヤーを操作し、トラック6を再生する。最後のトラックだ。これを聴いたって何かがわかるわけではないだろうけど、これを再生しないとここから一歩も動けない、そんな気がした。
相変わらず始めの喋りは聞き取れない。僕はシークバーの中ほどまで飛ばすことにした。迂闊だった。突如、耳元に流れ込んできた絶叫。
「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!」
「うわああああああ!!!」
僕らは揃って叫んだ。二人してイヤホンも外した。悲鳴は屋敷によく響いた。
すると、いきなり「誰だ!!!」と声がした。驚いて僕とタカシは一瞬、体が固まってしまう。今の叫び声が誰かに聞かれたようだ。倉庫の真上からドタドタと足音が聞こえてきた。階段を降りてくるらしい。タカシは僕に「走るぞ!」と言って手を取ってくれた。玄関を開けて勢いよく外へ出る。後ろは決して振り返らずにそのまま坂を全力で下った。
家の前まで着くと、僕らはもう汗でびしょ濡れだった。あれだけのことがあってもまだ昼過ぎなのだ。太陽は真上にあり、僕らをかんかんと照らしていた。
「なあ、これ……」
息を切らしながらタカシが渡してきたのは、あのプレーヤーだった。『おばけ屋敷』での戦利品、僕らがあそこに行った確かな証拠だった。
僕は自宅にタカシをあげ、プレーヤーの中身を確かめることにした。僕の家は日中であれば共用のPCを使うことができた。PCに取り込めばノイズなく音声を聴けるだろうし、ファイルの文字化けも治るかもしれないと考えたのだ。幸い、PCとプレーヤーを繋ぐケーブルの接続部に異常はなかった。
お互い息を整えPCの前に鎮座する。PCにファイルが取り込まれ、その情報が画面に出る。そこには衝撃の文字列が並んでいた。
『【絶叫オホ声】バイノーラルメスガキ音声〜よわよわなお兄さんを搾り取るはずがわからせチ○ポに敗北しちゃいました〜』
そう、これは男性向けR-18音声作品だった。
トラック1の振動音は耳ふー音声だったし、トラック2の不快な異音は耳舐めの水音だった。
トラック3の空耳はちゃんと聴くと
「ざぁこざぁこっ♡ざこチンポ♡そんなにここ、弱いんだぁ〜♡」
だったし、トラック6の叫び声はメスガキのわからせラストスパートの獣声だった。
僕とタカシはこの日からこの音声作品のお世話になり、性癖が歪んでしまうのだった。
これが僕が体験した恐ろしい出来事だ。
終
この作品は全てフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。マジで。
話の中で一箇所だけ、おかしなところがありますが、そちらの解釈についてはご想像におまかせします。